昨日の夕方、いつものリサイクル屋さんに行ってみると、久しぶりに個人宅から回収してきた「ゴミ?」の選別作業の最中に出くわしました。
・・・なので、その選別された中から・・・自分にとって「気になるもの」をさらに選別するのですが・・・業者さんが「高値」がつきそう!何てモノは・・・ヤフオクで売れるからダメ!・・・と、強制排除されるのでありました。(T.T)
そうした中、今回の「琴姫七変化」の絵葉書?は、無事索敵の眼をかいくぐって入手した代物で有ります。
主演の松山容子さんは、どちらかと言えば「ボンカレー」(1968発売)のパッケージモデルとして知られていると思いますが、そのきっかけとなったのが「琴姫七変化」(1960-62 読売テレビ)だったのでした。
「アサヒグラフ」(1956.2/5号)の表紙モデルを務めたのを松竹の役員の目に留まった結果、愛媛県立松山南高を卒業と同時に「松竹」のニューフェイスとして入社、最初は松山清子の芸名でのデビューでした。(1959から松山容子に改名)
そして、この「琴姫七変化」が今度は大塚製薬の目に留まって「ボンカレー」のホーロー看板?へと繋がるのですね。
・・・ですが、こうして「琴姫七変化」歌詞カード付きの印刷物をみてみると、大塚製薬との関係は「ボンカレー」よりも前ということになりますね。
そのボンカレーも発売されて更に50周年とかで、松山容子さんも記念の席で挨拶されたとか。芸能界を引退しても息の長い人で有りますね。
今回の写真とボンカレーのイメージとは少し違う感じがしましたが・・・(映像では観たことがないので)・・・当時の映画会社のニューフェイスというのは、ある意味、社運を懸けているからでしょうか、存在感が違うような気がしました。