昨年の老松古美術祭で見つけたのだけれど、既に予算オーバーだったので取り置きにしてもらい入手した二川焼きの徳利です。
何だか変わったのがショーケースの上にあるなぁと、店主に尋ねたところ・・・二川焼きとの事でした。
でも、店主がこれを買った時は丹波の赤ドベ釉の徳利だと思ったそうなのですが、この店の常連さんが、たまたま東寺のガラクタ市で同じ徳利を見掛けたそうで、それを売っていた店での説明が「二川焼き」だったのでした。
まぁ、この色を見ればそう考えるのも無理はないのかな・・・みたいな。
二川焼きと聞けば、確かに丹波の徳利はベタ底が多く、このように高台を切ったモノは無くはないでしょうが、ほとんど見ない気がします。
江戸後期の丹波では、有りとあらゆる技法を駆使して作陶していたので、骨董の世界で判らないものは「丹波」というと納得したのだそうなので、そういう事も判断に影響したのかもですね。
さて、二川焼きですが、弓野窯から陶工を呼んで明治に開窯したとあります。そのため、その製品の多くは弓野窯と共通したモノが多く、今回のような徳利なども作られていたのは少し意外な感じがしました。
徳利の口がほころんでいるのは・・・いつものパターン。こうしたモノしか入手出来ません。
しかし、徳利というには少々「口」が狭い!・・・徳利全体の形から考えると、徳利の頚を持って直接飲む感じの「口付け徳利」・・・つまり、水筒みたいな用途の徳利ではないか知らん?と考えますが、如何?
釉剥げがあったりするので結構使われていた印象。・・・こう言う風にポロっと剥げるのですねぇ。備前の灰かぶりなども剥げるらしいので、器の景色も釉下彩以外は変化するという事でしょうか?
二川焼き徳利・・・未計測