21日の四天王寺さんの骨董市は、日曜日とあって「人人人」で大変な混雑ぶりでした。
この日は、骨董市だというのに何となく気乗りがせず、寝起きからグダグダと過ごしてしまい、10時過ぎに四天王寺到着という出遅れ感満載でスタートしました。
なので、人出の多さに「あちゃー」と思いましたが、いつものコースで物色開始。
そして、最初の店で目に留まったのが今回のメダルなのでした。
裏面に「東伏見プール 竣成記念」とあり、続いて「早稲田大学体育会 水泳部 昭和十二年」とありました。
いつもなら瀬戸系の焼き物を物色する事の多いこの店ですが、目ぼしいモノも無いことからこのメダルを購入しました。
・・・で、帰宅後に「東伏見プール」で検索するもヒットせずでしたが、「東伏見プール竣成記念」で検索した所・・・何故か「大分県立美術館収蔵品」というサイトにたどり着きました。
どうも大分県臼杵市出身の日名子実三(1893-1945)という人がこのメダルをデザインしたらしく、数多くの彫刻作品と共に収蔵されているようです。
(恐らく、出身県という事で没後に遺族が寄贈したと推測します)
日名子実三氏の履歴
臼杵市に生まれる。
大正7年 東京美術学校彫塑科卒。
在学中から朝倉塾に入り、その後、朝倉文夫の片腕的存在となる。
大正8年 第一回帝展に初入選。
以後、帝展、東台彫塑展に出品。
大正15年 朝倉のもとを離れ、斎藤素厳らと共に構造社を結成、精力的に製作活動を行う。
昭和10年 帝展改組に反対し第三部会を結成。終始在野にあって反骨精神を貫いた。また、記念碑、メダル等にも腕をふるう。
(以上、大分県立美術館のHPから)
昭和十二年(1937)という、既に大陸での戦争が始まっている時期の作品ですが、当時はまだ「竜の落し子に飛魚の羽根を纏ったニンフ」という水泳部に因んだデザインとはいえ許されていたのですね。
こうしたメダルが、軍事色一色になるのはいつ頃なのか?・・・なんて疑問にも興味が湧いてしまいます。
・・・何だか、一枚メダルから大袈裟な記事になっちゃった感は否めないけど、たまには良いかも。