今回は、先月の老松古美術祭で入手した瀬戸の片口であります。
まぁ、何というか・・・骨董的には時代も若いし(明治以降なので・・・)、大して見所の無い品ではありますが、釉薬が見込みに向かって流れている点と、そのサイズが酒器に使えるかも?な点が気に入って購入したのでした。
釉薬の感じがお気に入り。でも、一旦は作為を感じる気がして見送りましたが、結局、後日、電話にて予約する事になってしまうのでした。
裏面はこんな感じ。(まだ、使用できる感じには洗えていません。)
2012年9月24日にアップした「九州系の片口」との大きさの比較。瀬戸のほうが一回り小さいのが一目瞭然なのでした。 この唐津っぽい片口を入手した時には、何か「これで片口は終了!」・・・なんて気になっていたのですが、こうして酒器に使えそうなサイズのモノを見つけてしまうと、何気に気になってしまい購入してしまうのでありました。(笑)
それに、私め、基本的に食中酒としての飲酒が主なので、やはり、一人酒に使用する酒器としては「唐津っぽい」のは大き過ぎたのですよ。(まぁ、判ってはいましたが・・・!) ・・・何だかんだ言って、段々と酒量も落ちてきているし・・・今回の瀬戸ならば一人酒のお供にギリ使用できる?・・・可能性に・・・乾杯!(多分ね。)
瀬戸の片口・・・径115(最大138)×高50×高台径51ミリ
九州系片口・・・径141-144×高77ミリ
追記・・・2012年9月24日の「九州系の片口」のTOP画像を入れ替えました。
今回の木版画2点は、何年か前の某日、旧知の画廊が「閉鎖するから・・・」というので、「では、在庫整理をお手伝いしましょう」・・・みたいな感じで何点かの作品を購入した際、「これ、何かの本の挿絵みたいなモノらしいけど、よかったら持って帰り」・・・という訳で、オマケとして頂戴することになったのですが、ご覧のように、版画としては素朴で「大したもの」ではないなぁ・・・という感じ。・・・なので、長らくお蔵入りしていたのでした。
画面では、
市代・・・絵 徳力富吉郎、彫 日野慶吉、摺 松野活水としか写っていませんが、実際には、下段に市代さんの説明として、以下のように記されていました。
試みとして、錦絵時代のそれにならひ、絵彫摺の三者共作を毎号一葉掲載することにしました。市代(いちよ)さんは近来鴨川踊りや少女のレヴュウに大進出を試み人々の注目の的になって居る京都先斗町の一流藝妓。
徳力富吉郎は、昭和初期に「大衆版画」なる雑誌を2号まで出版しているらしく、その中にオリジナルの木版画を(1冊につき)10点挿入していると記述されています。・・・なので、今回の木版画がそれらである可能性はあると思いますが詳細は不明なのでした。
あれ?・・・
「毎号一葉掲載」とあるな・・・では「大衆版画」ではないのか?
続いての
「栗島すみ子」さんは、市代さんと違って、一応、多色刷りになっておりますが、こちらの人物についてはWEB検索にてHITしましたので以下に記します。
栗島すみ子・・・明治35年(1902)3/15~昭和62年(1989)8/16
五歳より日本舞踊を始め、父の栗島狭衣一座で巡業生活を送る。
1921年・・・松竹鎌田撮影所に入り、ヘンリー小谷監督の「虞美人草」で人気俳優の岩田祐吉と共演し映画デビューを果たす。
1933年・・・撮影所が大船に移るのを機に映画界を引退し、水木流舞踊の宗家として活動。
映画での活動期間が短い感じなのでよく判りませんが、当時としては著名人と呼べる人物なのでしょうね。こちらの木版画には、一応、「T.T」なる版上サインもあるし、この辺が、市代さんとの作品の質の差になっているのかなぁ・・・。
↑ Google photoからの借用。(ご容赦あれ!)
追記・・・徳力富吉郎⇒昭和4年同人誌「版」、昭和6年「大衆版画」発行。
引き続き・・・煙管入れであります。こちらも何年か前に購入したモノで、現在では筆記具のサインペンなどを入れるケースとして使用しているモノなのでした。
合金製の蓋を使用していることからも判るように、昭和期の婦人用煙管入れなのですが、2種類の竹を使ってコントラストを強調したデザインが楽しく思い老松にて入手した記憶があります。
もっとも、すべてが「竹」で出来ている訳ではなくて、ボール紙状の筒の上から竹を巻いてある感じなのですが、簡単そうでいて、現在では中々根気のいる作業になるのではないでしょうか。
このところ、今回のような煙管入れなどには目が向かないのですが、あらためてアップした画像を見てみると・・・なかなか良い感じ。現代に行かせる小物があれば骨董市巡りも楽しいのになぁ・・・。(予算が有ればですね。)
婦人用煙管入れ(竹製)・・・長さ161mm
先月は、日程が合い、老松古美術祭の2日目に出掛けることができました。でも、晴天だというのに人出が少ないように感じたのですが、初日に賑わったらしいので「そのセイ」なのかも知れません。私的には相変わらずの低予算なので、工業用のガラス器と伊万里の染付け、瀬戸片口などを購入して、早々に老松を後にしましたが、ガラス器以外は「予約」していたモノなので、いずれも「掘り出し感」のあるモノではありませんでした。
・・・で、今回は、時間的に古美術祭で購入したものではなく、何年か前に入手した普及版の煙草入れ+煙管入れでの更新になりますが、骨董的な価値はなく、個人的な「革フェチ」?的な興味から購入したものでした。
以前に購入した煙管入れと並べてみる。(再登場です)なお、最初の画像の煙管は左の煙管入れに付属していたもので、金属部分は銀製となっています。おそらく、いずれも明治以降の品で、右は昭和に入ってからのモノかも知れません。
左の煙草入れのアップ。革は傷んで「ヌバック状」になっています。金具は真ちゅう製の唐獅子です。この煙管入れと煙草入れのセットは、京都の業者さんから購入したモノですが、四天王寺さんの骨董市に出掛け始めた頃に入手したモノなのでした。まぁ、今にしてみれば、使い道のないボロボロの煙草入れなのですが、骨董市を楽しむという欲の無い期間の購入なので、何気に今でも覚えているのでしょうか?
煙管入れ(革)・・・長さ192mm
煙草入れ(革)・・・125×71mm
煙管(竹+銀)・・・長さ208mm
煙管入れ(紙縒り)・・・長さ220mm
煙草入れ(唐獅子)・・・131×75mm
先週末、1月の四天王寺さんで出会い、後日電話にて取り置きしてもらっていた
梅林焼を引き取りに老松通りまで行ってきました。・・・(何だかんだと結局3回払いになりました。)
最初に四天王寺さんで見たときには、「梅林焼って聞いたことあるけど結構な値段がするなぁ・・・」とか、「思ったよりも土味が硬いなぁ・・・」なんて思いだけで購入は考えていなかったのですが、最後には「まぁ、売れ残っていたら考えてみるわ・・・」という言葉を残して帰宅したのでした。
・・・で、後日、老松の骨董屋さんへ電話で確認すると「まだ売れていない」との事でした。「分割でも構わない?」と店主に尋ねると、「分割で買う人結構いてはるよ!」とOKの返事でした。
当初はまず買えない金額だと思っていましたが、日程的に四天王寺さんの骨董市へは行けないことから、その分の予算を購入費用(分割)に振替えれば購入出来るの可能性はあるなぁ・・・なんて甘い考えでGOサインを出したのですが、支払ってみれば、「少し無理したなぁ・・・」みたいな感じになりました。
梅林焼は、滋賀県(近江)の焼き物なのですが、開窯時期に諸説あって、享和・文化年間(1801-18)開窯説と天明年間(1781-89)開窯説の2つがあるようですが、何れにせよ、小原伊兵衛という人物が、膳所藩領内の中ノ庄村梅林山の土を採った事から梅林焼と名付けられたのは間違いないようです。
なお、この最初の窯は伊兵衛一代で廃窯となりますが、伊兵衛窯の職工であった
金三郎が文政年間(1818-30)に
「梅林」印を使用して再興したと伝えられ、その窯は幕末まで続いたとされています。
この徳利の底面にも(不鮮明ですが)「梅林」の銘があるので、再興された梅林焼であると判りました。
タイトルに
「・・・泣き」が付いている理由ですが、実は、この徳利は
無傷ではなかったのでした。
外見上は触っても「触感的」にも問題なく、また、洗浄のために徳利に水を張っても問題なし。・・・なので、まったく傷物とは気付かなかったのですが、洗浄具合を確認しようとペンライトで徳利の中を覗いてみると・・・首部内部の釉薬の調子が不自然なのに気付いたのでした。(内部の触感にも異変ありな感じ)
・・・で、よくよく観察してみると、西洋の修復術よろしく念入りに釉薬の調子も含めペインティングしてあるのでした。(この時点で「あちゃ~!」とテンションが下がったのは間違いありませぬ。)・・・ね!・・・「泣き」でしょ。
それにしても、業者さんたら「修復してる」とは一言もないし、梅林焼の相場なんて知らないから「言い値」での支払いだし(分割なので・・・)、と、まったく小生ったらお人よしなことよ。まぁ、それにしても、かなり丈夫に修復しているのか、水を張った徳利の首を持って振り回したりしても「ポキッ!」ということはありませんでした。・・・その点だけはご立派な修復で御座いまする。・・・でも傷物。(やはり泣き!)
・・・そういう訳で、今回の梅林焼・・・本来なら月初めのブログ更新に使うところでしたが、やけくそで本日の更新となりました。(ブログねたになっただけ有難い?・・・でも傷物。・・・しつこいけど。)
梅林焼徳利・・・高さ210mm