前回の九谷焼に続き、今回もリサイクル屋さんで購入したモノですが、食器類はある程度見たけれどレコードは確認していなかったなぁと・・日を改めて出向いた際に清算する段になって見つけた湯飲みのセットになります。
このリサイクル屋さんには不思議と閉店間際に入店する事が多いのですが、モノが無いときはそれなりに・・モノが有るときには時間切れ!となるケースが多々あるのでした。
今回は後者のパターンで、この日はレコードだけに時間を掛けて物色していたのです。・・(入店時に店主に確認すると)・・「百枚程入ったけど残りは20枚くらいかなぁ・・」でした。
・・結果、新たなLPを十枚とカプセルトイのフィギュア等を入手して清算!となった時に発見した湯飲みのセットですが、
鳴海の「旧バックスタンプ」でなければ興味が無かったかもですね。
洋食器会社の作った「和の湯飲み」なんて・・とも思いましたが、転写による図柄がいかにも昭和レトロな雰囲気なのと、底面から高台にかけてのラインにエッジが効いている感じがしたので持ち帰る事になりました。
後日、ネットで検索しましたら・・今回のモノとは違う・・普通の(丸みを帯びた)シルエットの湯飲みの画像ばかりでした。それらも「旧バックスタンプ」ではありましたが、「普通だな」以外に感想はなく、恐らく手に取っても買わなかっただろうと思いました。
画像・・底にかけてのラインが気に入った!(みたいな)・・ほんの少しの違いだけで器の印象は変わるのですね。
今回のコレ、個人的には使わないでしょうが、レトロ雑貨を扱うお店でのおもてなしに使うとGOODな感じ。・・なので寄贈しちゃうかもです。(どこに?)
レトロな湯飲み・・・径62×高76×高台径32mm.
★★★
あとがき・・・昨日はネットで購入した初荷(古い?)のVASE(ガラス)が到着しました。北欧のミッドセンチュリーなモノですが、あまりダメージがなくて良かった。今年はネットではそうしたモノを中心に探す予定ですが、骨董市も巡るとなると(コロナ次第ですが・・)予算的には厳しいのかな。
年末年始はバタバタしてしまい、相変わらず予定通りにいかない日々をすごしました。おまけに新年3日あたりから少々風邪気味で不味いかなぁ・・と思いましたが、医院で貰っていた風邪薬(PL)を飲んで寝ましたら少し楽になりました。
・・で、実質的に新年最初のブログは何故か九谷焼赤絵の湯飲みになりました。(派手な赤で御目出度いを演出?)
こちらは骨董市で購入したのではなく、くだんのリサイクル屋さんで見つけたものになります。・・(年末近くに出向くと意外に商品が入っていたのです。)・・でもねぇ、パッと見は明治はあるかも・・でしたが、少し手取りが重たい印象。
こりゃ、せいぜい大正から昭和初期かなぁ?と。・・でも、それにしては比較的密に描かれている。
九谷を□で囲んでいる銘。ちょっとはマシな製品?
こうして見ると、赤絵の赤が少しどぎつい感じがする。九谷焼の赤って朱色ぽい色ではなかったか?
九谷焼はコレクトの範囲ではないのでちょっと判らない!
・・・ここまでは夕方までに書いたのだけど・・途中で下書き保存しました。・・(待っていたゆうパックを受け取ったので予定終了?)
寒いなぁ!がピークになったので近く(でもないか)の銭湯に行きリラックス。・・最近、銭湯には歩いたなぁなんて日にマッサージを兼ねて通うようになりました。広い湯船で過ごすと温まりますからね。
その後、古着屋さんでメンバーCARDの更新とお買い物。・・ボロ裂みたいな帽子を買いました。(被る勇気があるかは別)
そんなこんなで最後に・・持病の薬が切れそうなのでクリニックへ行ったのですが、受付で「正月3日に出掛けたら鼻水が出た」なんて正直に話したら・・発熱は無いけれど念のために電話での問診(3回繰り返す)となり、ほぼ薬を貰うまで院外で時間を潰す事になりました。(イオンで食品を買うなどです)
まぁ、コロナ、インフルのW流行では仕方ないのでしょうが・・薬を貰えただけで良しとしよう。
コロナの予防接種をしていると「コロナ」に罹患しても症状は軽いらしいし・・自分では半信半疑なのでありました。
・・そんなわけで、九谷の湯飲みの話は何処かへいきました。(*_*)
九谷焼赤絵湯飲み・・・径83×高50×高台径40mm.
★7日10時に記事を加筆しました。
ぼちぼち出番かな・・・
コテっ!
あらためまして・・・新年おめでとうございます!
いつもながら、年末はバタバタして予定どおりにはいきませんでした。
今年は何かと落ち着いてくれると良いのですが・・・タモリ氏が「新しい戦前になるのでは・・」と表したように不透明な情勢のようです。
ウクライナでの戦争を他人事のように考えていては思わぬ不意打ちを食らうかも知れません。
いずれにせよ、しばらくは何事にも我満の日々が続くかもですが、このブログのほうは出来るだけ継続するつもりですので、皆様、お見限りなきようお願い致します。
今月の骨董市でのおり「使えないマッサージ機」を購入した業者さんの店で見つけ持ち帰った小石原焼の壺になります。
先に手に取った「マッサージ機」に興味があったものの、ほぼガラクタなモノですから価格次第で購入の判断をしましょうみたいな心理状態でした。
そうしたなかポツンとあって眼に止まったのが、民藝風のこの壺でした。昭和のモノでしょうが、装飾は「打ち掛け」による釉薬の変化のみというシンプルさが気に入ったのですね。
業者さんに2つでいくら?と訊ねたら「◯千円」との答えでしたが、私が首を捻ると若干の値引きがあったので購入する事になりました。・・いくらで壺を買うかなぁと自問しての納得な価格でしたので。
底面に輪が2つの銘・・「違い輪」があったので小石原焼だと判りましたが、無銘だとちょっと迷ったかもしれません。
昔から小石原焼の兄弟窯といわれる小鹿田焼が
好きでしたので、ネットで商品を見定めているうちに小石原の情報も判るようになったのですね。
しかし、最近は「飛び鉋」などの技法には飽きてきた感があり・・(刷毛目は好みです)・・シンプルな技法のコレにひかれたのかも知れませんね。
「飛び鉋」は小鹿田焼でも特有な技法ですが、その始まりは意外と大正末から昭和初期に始まったみたいです。つまり、本来は今回の壺のようなのがメインだったのですね。
小石原焼も元々は小鹿田焼と同じく「一子相伝、分家ならず」という風な世襲性だったのですが、民藝運動で「用の美の極致」なんて紹介されたものですから需要が高まってしまい、ついに昭和30年代後半には、その「掟」が破られてしまうのでした。・・(ガス窯の普及などで個人規模の窯が増え、8軒→40軒になる!)
それにともない、共同の登窯で鉢や皿、甕、すり鉢などの日用品主体の生産から、ピッチャーなど暮らしにあった器作りに製品も変化する事となりました。
民藝運動というものにも良い面、悪い面があるように感じました。
因みに「違い輪窯」というのは、1989年の「上の原古窯跡」(1682年開窯とされる)から「違い輪窯」の製品が出てきた事により、小石原では最も古い窯の1つとされているようです。
当代は16代目の福島善三氏(人間国宝、1959~)ですが、作家としての作風と伝統的なモノとは違っており、今回の壺は、一般に「窯モノ」と呼ばれるものになります。・・ですので美術品としての価値はありませんし、個人的には先代頃(1992以前)の製品かなぁと・・。
今回の壺は小石原でしたが、どちらかと言えば小鹿田焼のほうが登り窯での製品なので好きなのです。しかし、某セレクトショップが扱うようになって作風が変化してきたしプライスもアップな感じ。
民藝運動の結果、粗製乱造に陥ったようなように外的要因で製品も変化してしまう。これからも健全な民窯でいられるかは分からなくなりそうな気がします。
小石原焼の壺・・・径97×高187×高台94mm.
知人から月曜日(19日)に偶然出会った際に「日曜日に商品が入ってたよ!」と情報を得ていたのですが、タイミングが合わずに行きそびれてしまい「まぁ、いいか・・」と放置していたのでした。
しかし、昨日になって「今月はまだ顔を出してないなぁ・・」なんて事を思いだし、久しぶりに近所のリサイクル屋さんに寒いなか行って来ました。(何も無かったらレコードでも漁りましょう・・みたいな。)
店に入りましたが人の気配無し!何て無用心なんでしょう。構わずに食器コーナーを物色していたら・・ようやく店主と遭遇しました。どうやら反対の通路に居たようでした。(存在感が薄すぎるやろ!と心の中で悪口。)
情報の通り、確かに新たな商品が入った気配はありましたが、「お宝!」みたいなモノは見つからず、民芸品みたいなのとグラスを何点かキープして終了かな?と思った時、何気に手に取ったのが今回のトナカイでした。
まぁ、クリスマスでなければ見逃していたと思いますが、コレに関してはタイミングが良かったのですね。
手に持った感覚は「軽い!」というものでしたが、よくよく見てみるとアルミか何かの軽合金製であるようでした。(角に金属の感じあり)
状態をみれば、当り傷は確認できないものの、素材の上に貼っていたであろう金箔様のモノが剥げているようで気になったけどプライスを聞いて持ち帰る事にしました。
確実な用途は不明ですが、背中に空いた穴から想像するにキャンドルホルダーかな?と。(頭のほうに重心があるけどローソクを挿せばバランスは取れそうです。)
それにしても、メーカー名とかの刻印も全く無いので時代や生産国などのヒントが掴めないなぁ・・。
そんな訳ですが、クリスマスの間だけはミニオンを背中に乗せて飾りましょうかね。(サンタがいないので・・)