先月の四天王寺さんで屋島焼らしい煎茶碗を買ったのですが、そもそも、屋島焼って何?…という状態でした。大体、屋島焼自体がメジャーではないしね。 …なので、Webで検索してみたら、‥屋島焼‥のトップに表示されたのが今回紹介するサイトです。
それは、
香川県歴史博物館のHPなのですが、タイミングが良かったのか、‥屋島焼とその周辺‥というリンクが昨年末に出来ていました。…屋島焼に興味がおありの方は一度ご覧下さい。ここからPDFによる資料がダウンロード出来ます。
2022.5現在こちらからのリンクは切れております。
さて、早速、その‥屋島焼の成立と展開‥という、香川県立歴史博物館のレポートを読んでみたのですが、それによると、源内焼の陶工であった初代景繁が、文化二年‥1805‥に、平木村から屋島の西潟元村に移り屋島焼を始めた説が有力で、以降、代々‥林叟‥を大正年間の五代まで継ぐことになりますが、屋島焼というブランドが前面にでるのは天保四年‥1833‥からのようです。
初代林叟は、源内もしくは源吾に師事したことから、基本的に型を使った源内焼風の作品が多く、中には、源内焼そのもの…という作品がみられるとの事です。
また、残された製品には刻印があるため、製作者は分かるものの、屋島焼が型を使って製作される関係から、何代目のモノかまでは不明瞭との事らしいが、明治に入った3代頃から藩との関係がなくなった為に、所謂、土産物的な製品を造らざるを得なくなったようですね。
…で、私が四天王寺さんで購入した屋島焼らしい?煎茶碗ですが、楽焼き系の製品も造られているものの、やはり、煎茶碗のような小品といえども基本的に型造りにこだわったようで、ロクロでの製作は珍しいとは思うものの、型造りには技術がいる関係から、屋島焼の最終期のモノではないかと推測しています。
結論…今回は安い買い物ながら、屋島焼のお勉強が出来たりと、ナカナカ楽しむ事ができました。
屋島焼や源内焼に興味をお持ちの方は、是非、香川県歴史博物館のHPをご覧下さい。図版が豊富なので参考になる事は間違い有りませんから…