先週末、1月の四天王寺さんで出会い、後日電話にて取り置きしてもらっていた
梅林焼を引き取りに老松通りまで行ってきました。・・・(何だかんだと結局3回払いになりました。)
最初に四天王寺さんで見たときには、「梅林焼って聞いたことあるけど結構な値段がするなぁ・・・」とか、「思ったよりも土味が硬いなぁ・・・」なんて思いだけで購入は考えていなかったのですが、最後には「まぁ、売れ残っていたら考えてみるわ・・・」という言葉を残して帰宅したのでした。
・・・で、後日、老松の骨董屋さんへ電話で確認すると「まだ売れていない」との事でした。「分割でも構わない?」と店主に尋ねると、「分割で買う人結構いてはるよ!」とOKの返事でした。
当初はまず買えない金額だと思っていましたが、日程的に四天王寺さんの骨董市へは行けないことから、その分の予算を購入費用(分割)に振替えれば購入出来るの可能性はあるなぁ・・・なんて甘い考えでGOサインを出したのですが、支払ってみれば、「少し無理したなぁ・・・」みたいな感じになりました。
梅林焼は、滋賀県(近江)の焼き物なのですが、開窯時期に諸説あって、享和・文化年間(1801-18)開窯説と天明年間(1781-89)開窯説の2つがあるようですが、何れにせよ、小原伊兵衛という人物が、膳所藩領内の中ノ庄村梅林山の土を採った事から梅林焼と名付けられたのは間違いないようです。
なお、この最初の窯は伊兵衛一代で廃窯となりますが、伊兵衛窯の職工であった
金三郎が文政年間(1818-30)に
「梅林」印を使用して再興したと伝えられ、その窯は幕末まで続いたとされています。
この徳利の底面にも(不鮮明ですが)「梅林」の銘があるので、再興された梅林焼であると判りました。
タイトルに
「・・・泣き」が付いている理由ですが、実は、この徳利は
無傷ではなかったのでした。
外見上は触っても「触感的」にも問題なく、また、洗浄のために徳利に水を張っても問題なし。・・・なので、まったく傷物とは気付かなかったのですが、洗浄具合を確認しようとペンライトで徳利の中を覗いてみると・・・首部内部の釉薬の調子が不自然なのに気付いたのでした。(内部の触感にも異変ありな感じ)
・・・で、よくよく観察してみると、西洋の修復術よろしく念入りに釉薬の調子も含めペインティングしてあるのでした。(この時点で「あちゃ~!」とテンションが下がったのは間違いありませぬ。)・・・ね!・・・「泣き」でしょ。
それにしても、業者さんたら「修復してる」とは一言もないし、梅林焼の相場なんて知らないから「言い値」での支払いだし(分割なので・・・)、と、まったく小生ったらお人よしなことよ。まぁ、それにしても、かなり丈夫に修復しているのか、水を張った徳利の首を持って振り回したりしても「ポキッ!」ということはありませんでした。・・・その点だけはご立派な修復で御座いまする。・・・でも傷物。(やはり泣き!)
・・・そういう訳で、今回の梅林焼・・・本来なら月初めのブログ更新に使うところでしたが、やけくそで本日の更新となりました。(ブログねたになっただけ有難い?・・・でも傷物。・・・しつこいけど。)
梅林焼徳利・・・高さ210mm