昨年末、大阪港のサントリーミュージアム天保山に行ったことは前回述べましたが、その帰り道、上本町にあるアンティークの店にも立ち寄ったのでした。しかし、年末なのかショーケースには空間が目立っておりまして、結局、戦前頃の玩具っぽいモノを1点購入するに止まったのですが、その際、この店の本棚に「源六焼」の図録を発見したのでありました。
私と源六焼との出会いは、何年か前のネット・オークションでの購入が始りで3点ほど入手したのですが、最初は面白いと思って熱中していたオークション熱が冷めるとともに源六焼との出会いも無くなったのでした。
源六焼というのは、佐賀県嬉野の富永源六という人が、明治21年に新窯を築き焼成した磁器をいうのですが、最初に入手した小皿は「香蘭社」かな?というようなものでした。(右側)
基本的に香蘭社とか深川に代表される明治期の有田の焼き物は、輸出品のほうが国内向けよりも出来が良いとされているのですが、この源六焼もその傾向があるようです。また、明治25年頃から釉下彩による食器の生産を開始するのですが、この釉下彩による製品が、今日、源六焼が再評価されるきっかけとなったのではないかと思っています。(図録で見る釉下彩の花瓶などはその対象)
↑牡丹文皿…国内向け食器の図柄としては、源六焼でポピュラーなもの。
源六焼って、私がネット・オークションで見知った頃は、点数は少ないものの、まだ安価で落札できたものでした。でも最近では、たまに見掛ける骨董屋さんの店頭でも微妙にお値段が高くなってきたような感じがするので、どちらかといえば、私的には「伊万里」を買っておこう。…となるのでありました。 まぁ、よほどの上手であれば別ですが、現在では伊万里もお安くなってきたので、こちらの方がお得感があるのですよ。
↑私の手持ちで一番ましな源六焼。最初は印判かなぁ…?と思ったのですが、どうも手描きみたいでありまする。図録によると大正期くらいのモノらしいのですが、絵画っぽく染付けされた点が◎。またサイズ的にも7寸皿なので見栄え的にもよろしいですが、基本的に皿なので数モノでありますね。その点は残念ですが比較的上手と言えるのではないでしょうか?
あとがき…という訳で、新年最初のブログが源六焼となったのでありますが、実は「図録」を購入していなければ、ず~っと没ネタになっていたかもしれません。(画像は2008年6月のもの) その点ではラッキーでした。
蛇足…図録によると、昭和15年8月に
統制番号の「肥1」が源六焼に与えられたとありました。何事にも1番は目出度きかな。
「源六焼」図録…嬉野陶磁文化研究会編(平成19年6月発行)