今更ですが、今年の初詣は、母親の治療通院からの帰り道、志紀長吉神社で済ませました。
…で、この志紀長吉神社ですが、何年か前に母親が徘徊を繰り返していた時期には、よく大鳥居の前を通っていたのですが、その由来とか伝承に関しては全く興味が無かったのでした。…まぁ、母親を追跡する道標としては利用していましたけれども。
…ところが、NHKのローカル番組で、この神社が真田幸村ゆかりの場所であると放送されてからは少し興味を抱き、その時点で、初詣はココにしましょ!と決めていたのでした。
そんなわけで、初詣には2日の日に出向いたのですが、放送の影響でしょうか?、ローカルな神社の割には
込み入っているというほどではないけれど人出はありました。
こんな感じの社ですが、明治初年頃は、旧長吉、瓜破、恵我(現松原市)、大正、藤井寺といった各村の総氏神であったそうです。(まぁ、そうでないと幸村さんも立ち寄らんわな!)
さて、志紀長吉神社と真田幸村との縁はといえば、「大阪人」という、これもローカルな雑誌(特集 平野切絵図)によると、慶長20年(1615年)5月6日、道明寺・誉田の合戦(現羽曳野市)での伊達政宗との戦いにおいて、大坂城への退却途中に志紀長吉神社で休憩をとり、その際に刀剣と軍旗を奉納したとあります。
刀剣のほうは、第二次大戦後に連合軍に没収されたそうで、現在は真田の紋所として著名な六文銭の軍旗のみが保管されています。(新年の2日、3日のみ¥100で公開)でも、六文銭って「永楽通宝」なんですねぇ…知らなかった。また、軍旗のサイズが240cm×幅30cmなので、いわゆる幸村の旗印ではなく、旗本の軍旗では無かったかと想像できました。(私見で不確実です。)
この志紀長吉神社の辺り、普段は、母親が徘徊をしなければ通らない場所なのですが、知らない神社にも思いがけない縁があるものだと知りました。「勝守り」(800円)を授与されたので、今年は何か良い事が起こるかなぁ?