
普段はあまり手に取ることはないのですが、久しぶりに行ったフリマで木製の民芸品(土産物)を買ってしまいました。
基本、お土産モノは敬遠すべきだと思っているのですが、何気に木製品は好きなので、手ごろなプライスだと購入する事が多いのです。
今回の鳥を形どった置物は、フリマで入手した関係上、正確な用途は不明なのですが、その形からジュエリーなどの小物入れかなと考えています。なお、裏面に「Made in USSR」のシールが貼られたいたので旧ソ連邦のモノと判りました。
また、手描きで民族的な果実文が彩色されていますが、形は違えどもロシアの代表的なお土産であるマトリョーシカに通じる気がします。
旧ソ連製木製民芸品…高240×長175mm

少し前になりますが、老松の骨董屋さんで前に紹介したヴェネチア玉を追加で購入しました。前回同様に今回も3個の購入となったのですが、やはり、初見の時よりも時間が経っていた関係上、「これは!」というモノはすでに無く、かなり落差のある買い物となってしまいました。(前回のものと一緒に入れた画像です。)
当初は、オランダの算盤玉が入荷したから見に来ない・・・という、骨董屋さんのお誘いがあり老松へ出かけたのですが、その算盤玉といえば、サイズが15mmと小さく感じられた上に表面の磨耗がヴェネチア玉に比べれば目立つものでありました。さらに価格も倍でしたので、今回はヴェネチア玉を追加することにしたのでした。
何というか、無理やり3個選んだという感じなので、ストライプのものなどは厳密にいえばヴェネチアではないかもしれません。(図版には登場していますが・・・)
・・・とはいえ、何だかんだと言いながら、可も無く不可も無く、ヴェネチア玉も6個になったことだし、ここいらで打ち止めに致しましょうか・・・。(多分、見ればまた欲しくなるけどね。)
ヴェネチア玉・・・40mm(左ストライプ)、20mm(右花柄)、11mm(手前黄色)

今回の皿も柳文の猪口と同日に老松で購入したものでありますが、普段見かけない皿だなぁ・・・と手に取ったところ、「好き嫌いはあるけど良い皿だよ。」と、店主のお言葉がありました。
結果、「左様ですか・・・」と、いとも簡単に買ってしまったわけなのですが、しかし、帰宅後、例によって伊万里にしては「・・・」な疑問が沸々と湧き出すのでありました。

まぁ、ぱっと見「後期伊万里やな!」・・・なんて決め付けた事が間違いの始まりなのですが、仔細に見ると見込み周りの模様が、明治あたりの擦り絵印判の皿に似ているのと、裏面の高台が何とも伊万里には見えないのでありました。(中国製の皿によく見られる。)
しかし、中国製にしては裏面の「ハリ支え」の傷は有り得ぬ事なので、やはり日本製ということになり、釉の感じは伊万里ですね・・・なのですが、表の丸文には「騎馬人物」があったりするし、高台がコレですからやっぱり「いげ皿」みたいに重い訳で、やはり正体不明でよく判らないのでありました。
・・・そんな訳で、購入後は御気楽に普段使いの皿として使用しています。(何か呉須の色が洋食器みたいな印象なので何気に使いやすいのでした。)
伊万里っぽい花鳥文染付の皿・・・径186mm

前回、老松古美術祭前日に骨董屋さんを覗いてみた・・・と記しましたが、今回は、その折に購入した瀬戸、もしくは美濃製とおぼしき柳文の蕎麦猪口であります。
また、画像からも分かると思いますが、そのグレーっぽい素地は磁器というよりも陶器に近いものであるのでした。これを陶胎染付と呼んでよいのかは判りませんが、陶器様の素地に柳文が呉須で描かれているので、一応、自身の主観として陶胎染付とここでは呼称しておきます。(違うような気もしますが・・・)

裏面には柳の枝が2本。この蕎麦猪口は、店主いわく「古美術祭に際しての店先に並べ用」に用意されたモノらしいのですが、例により、柳のみの染付って珍しいかも知れないとの姑息な考えから入手したのでした。
・・・で、早速、帰宅後にお茶を入れて飲んでみたら、「あれれ・・・」店頭では見つからなかったニュウが2本も走っていたのでした。本来なら「あちゃ~」と奇声を発してから「ため息」でありますが、まぁ、購入価1千円なので我慢、我慢。

伊万里の柳文染付との比較。サイズ的には変わりませぬ。瀬戸には、今回のような陶胎のものと磁器染付との2通りがあるようですが、陶器質だから時代的に古いという訳ではなく、呉須の色から判断する必要があるのだ・・・と店主が言っておりました。
瀬戸(美濃)柳文染付蕎麦猪口・・・口径72-3、高60mm

ここ数年、老松古美術祭には行けないでいるのですが、今回も日程的にダメ!…そんなわけで、雨が降ったり止んだりの中、開催前日での老松詣で?になりました。
いつもの骨董屋さんに「古美術祭前日なのに目立たないね
」というと、「のぼりの色が黄色から紫に変わったから目立たないみたい…」との返事でした。しかし、個人的には新旧店舗の入れ替わりと、当日の天気予報が気になっていたのではと感じました。(蛇足…古美術祭初日は天気予報に反して好天だったみたいです。)
この日は、古美術祭前日にしては本当に静かな店内でして、中国人バイヤーがワイワイガヤガヤとやって来て、小さなライトを照らして品定めし、あっという間に印材と小さな木製品を購入して帰っていったのが印象に残った程度でした。
結局、ここでは瀬戸染付と美濃印判の
猪口他を購入して店を後にしたのですが、案内ハガキにあった「ひとりたのしむコップ酒」展(ギャラリーはこ益、〜5/1迄)に帰途立ち寄ったのでした。
はこ益さんも協賛店として催しの準備中でしたが、ある程度終了したとの事で拝見する事ができました。基本、今回は、主人が選んだ「日本酒に合う小さなコップ」というコンセプトのようでした。
明治、大正のコップと言えば、気泡の入った分厚い硝子というイメージですが、こちらでは日本酒に合うモノとして薄いグラスを中心に品揃えされていました。(画像は、こんなコップがありましたな見本→家に有ったもの)
個人的にはコップ酒はしないのですが、普段、余り見かけない小さなプレスのコップとか、明治と大正の硝子の違いなどの説明が聞けたりと、短時間ながら楽しく過ごせました。
エッチンググラス(昭和)…口径56×高93mm

昨年12月に老松町の骨董屋さんで見つけた伊万里の皿であります。これは、いつも見る棚ではなくて、平場に積み上げられているガラクタ?の中から発見したのですが、第一印象は「!」ときたものの、その日は蕎麦猪口が目当てだったので一旦は手に取ったものの見送ったのでありました。
しかし、常連さんの一人が「縁模様の唐草がダミで埋まってるし、まあまあ時代あるんちゃう」と一言。次いで入店のお客さんも「○○の伊万里やな」と、興味はないけど天明くらいの伊万里ですよ・・・みたいな感じで仰るのでした。・・・つまり、そういうお言葉に後押しされて購入したものでありました。

裏面、判断不明な銘が描かれています。実は、これが気に入らなくて、一旦、手放したのでありますよ。何せ、表の図柄に比べて裏面の雑な表現といったら・・・とはいえ、普段、皿類には手が出せない事を考えれば手ごろな値段だし・・・というわけで、いまは満足しているのでありました。
老松といえば、今週末の土日は「老松骨董祭」でありますが、どうも天気予報的には厳しいようでありますね。骨董街も店舗にかなりの変更があったようでなので、気楽に覗ける「骨董祭り」は有難いのだが、今回も縁がないようでありました。もっとも、「円」もありませぬが・・・
伊万里草花紋染付稜花皿・・・163×141mm

年末の四天王寺さんで見つけた国産のショットグラスであります。こうしたカットグラスはさほど珍しくなく、比較的容易に見受けられるモノですが、受け皿がセットになっている点に購買意欲を感じたのでした。
でも、その日の骨董市では、このカットグラスが主役ではなく、欲しい蕎麦猪口をどう組み合わせて購入するかという事に神経を使っていたのでした。しかし、予算の点でなかなか決まらず、結果、次善の策として今回のカットグラス購入となった次第です。
…で、帰宅後、冷静に観察してみたら、グラスと受け皿のカットが10面と12面で違いがあることが判りました。そうすると、何やら材質的にも(打音の違いから)疑問が生じてきて、現在のところは本当にセットかどうか半信半疑になっています。
もっとも、価格的には最初から受け皿はオマケみたいな感じなので、特に問題はありませんが、個人的には相変わらず詰めの甘い事よ!と反省するしかありませぬ。
カットグラス(10面)…径44×高42mm
受け皿(12面)…径75mm

今月は21日に四天王寺さんの骨董市に行きましたが、3月は彼岸会なのでほぼ最終日みたいな感じでした。道中、出展している業者さんに携帯で人出を尋ねると「少ない」とのことでしたが、実際には「多いなぁ…」という感じでした。
…そんな訳で、ガラクタ探しをしても「何も残っていないだろう」という予想でしたが、さすがに骨董的なモノは皆無でしたが、昭和な化粧瓶とか千代紙などの他、ジャンクの中から探し出したのが、今回の「高津尋常小学校 卒業記念写真帖」(昭和八年三月)でした。

卒業写真を見ると、クラスは「い」「ろ」「は」「に」の4組があり、「い、ろ」が男子児童、「は、に」が女子児童という組分け方になっていました。(画像は「い組」)

「に組」の集合写真。卒業写真なのか、男子の制服姿にくらべ、女子はセーラーあり、着物ありと自由な服装をしておりますね。

最初にこの卒業アルバムを見た時には「高津」が何所なのか判らなかったのですが、撮影した「キミガヨ写真館」の所在が「大阪市日本橋南詰東」とあるので、現在の大阪市中央区の「高津」だと推定しています。
さて、戦後生まれの「私」にとって尋常小学校って何?…という訳ですが、WEBで検索すると、1896年 尋常小学校(義務教育)と高等小学校が設置され3-4年制でスタート、1900年になると4年制に変更され、1907年に6年制となり、以降1941年の国民学校令で国民学校が設置され、尋常、高等の小学校が消滅するまで存続したとありました。
なお、終戦後の1947年から現在の教育制度に変更になりました。つまり、尋常小学校が小学校、高等小学校が中学校という具合にです。
私がこうしたアルバムなんて買ってくると、知人からは「何でこんなの買うの?」なんて訝しい目で見られるのですが、私的には、ジャンクの山の中から見つけてくるので、このまま本当の「ゴミ」になるよりは少しでも日の目が見れたら…なんて屁理屈を言うのですが、ほとんど理解が得られませぬ。(仕方あるまい!)
蛇足…高津尋常小学校の写真。コンクリート+木造みたいな感じですかね。
なお、今回は「職員」と「ろ組、は組」の写真を割愛しました。悪しからず。

これは2年位前に上本町で買った牛乳瓶でありますが、当時は、直感的に「古い牛乳瓶!」と思って購入したものの、冷静に考えれば、明治という時代に紙製の蓋を持つ牛乳瓶があるはずもなく、いつものように正体不明という理由でお蔵入りになっていたモノでした。
しかし、四天王寺の骨董市で業者さんにこの牛乳瓶の画像を見せたところ、「知らない」との返事でした。
…なので、ひょっとしたら珍しいモノかもしれないなぁ?と検索したところ、最初の国産牛乳瓶(紙栓)が1923年に製造とありましたが、1927年に牛乳瓶無色透明となるという記述があることから、1923年のモノは色付きであることが判りました。
ついで、1945年に黒いガラスの牛乳瓶を原料不足により製造とあるので、私的には、今回の牛乳瓶がコレにあたると思うのですが、残念ながら画像がなく記述のみの検索だったので、未だ確定という訳ではありません。
まぁ、実際には「黒い」というよりもビール瓶よりも「濃い茶色」という感じなので、この面からも判断が付かないのでした。まぁ、珍しいかも知れないので、一応アップしておこうという感じです。(更新サボっているし…)
黒い牛乳瓶?…高さ138mm

これは、何気に失敗してしまったモノであります。
白山陶器っていうと、私的にはまず森正洋氏の事を思い浮かべるのでありますが、何も白山陶器のプロダクトの全部をデザインした訳ではないのは当然であるのです。…なのに小生ったら、骨董市などで白山陶器を見つけると(代金によりますが)、とりあえず「買っておけ!」という気分になるようでして、コレもそうした気分で買ってしまったのでした。

一応、こんな感じの小杯が5個セットになったいたので、私だけでなく誰だって「酒器」って思う筈。小杯に図柄はないもののマットな釉薬だって共通なのだ。
でも、ジャグ(水差し?)風の形状を冷静に「よーく」確認すると、絶対に満タンでは使用できません!…って事に気づくのでありました。 まぁ、小生の場合は、実際に「水」で実験してみて気づくという「御馬鹿」な事になりましたが…
今更ですが、そういえば、店員さんが「徳利でいいんやなぁ?…」と、購入時に呟くのを聞いていたのですが、(その時は)特に気にもとめなかったのでした。
…で、ついでに言っておくと、ジャグには酒を注ぐように「口」を作ってあるのですが、まったく機能せずに「バシャ」っと、ただ「こぼれる」のみなのでした。(水差しにも使えん!)
…という事は、単なる「飾り」というわけでして、やはり小杯とジャグは別物なのか?…という疑惑を発生しつつ、本当のガラクタを購入してしまった!と反省するばかりなのでした。
白山陶器瓶…高270mm(最大)
小杯…径51×高4mm