21日は四天王寺さんまで行くのに裏道を通りましたが、表通りに昔の賑やかさが無いのも一因なのでした。・・何年か前までは天王寺から四天王寺まで国道沿いに食料品などを売る露店が並んでいたのですが、今は寂しい限りです。
JR天王寺駅構内にもガチャガチャの自販機が置かれているのを見ましたが、多分に海外からの旅行者向けなのかなぁと。
ちょっと高級?な自販機もあり・・
レトロな飲食街を通り抜ければ下り坂。振り向けばハルカスが望めます。
夕陽ヶ丘予備校は移転したらしいけれど、こちらの夕陽ヶ丘学院とは別法人なのかしら?・・ここからもハルカスがチラリ。
暫くして庚申堂に到着しましたが、「あれ?以前に朝市で来たときと印象が違うなぁ・・」という思いが・・でも、角を曲がれば記憶の通りの門が現れました。どうやら骨董市は裏門から入っていたのですね。(まだ朝1番の骨董市はやっているのかな?)
坂をのぼれば四天王寺の五重の塔が見えました。
2つの道路での信号待ちがもどかしいですが、ペチャンコ風なクリーニング屋さんの建物が気を楽にする。
・・で、唐門に到着しました。
今回も含め三回ほど始発のバスで来ましたが、寒くなるとともに早起きが出来なくなり、どうやらバスもお仕舞いかなぁ・・次回からはいつも通り地下鉄でノンビリと来ようっと。
★★★★★
老松古美術祭(52回)が11月3、4日に開催されます。段々と古美術商の数が減少している印象ですが、年2回の催しですのでお時間のある方は是非お立ち寄りください。・・(関係者では無いけれど)
このところマイブームとなっている始発のバスに乗り、久しぶりに四天王寺さんの骨董市(太師会)にやって来ました。バスターミナルから終着あべの橋までは30分弱で到着しましたが、土曜日なのでスムーズだったのかも知れません。
JR天王寺駅から裏道を通り四天王寺を目指しましたが、今回は庚申堂を経由して唐門から境内に入りました。
途中、写真を撮りながらノンビリと歩いたせいか四天王寺に到着したのは7時を少し過ぎてしまいました。
唐門から入れば・・いきなりガラクタ探しのスタートです。
六時堂は改修工事が本格的に始まったようで作業用の骨組みがくまれています。それにともない骨董屋さんの配置転換があり、一部の旧知の業者さんが何処に移動したか不明になりました。
今月は骨董屋さんの数が増えたように感じられたのですが、工事の関係でスペースが圧縮されたのでそのように思ったのかもですね。
今日は朝早くから来ましたが、人出は多いなぁ・・という印象。業者さんも商品の展開がいつもより早く感じましたが、単に私が油断して出遅れただけなのかもしれません。
いつもとは違うルートで境内を廻りましたが、あまり欲しいモノが無いなぁ・・という訳で、小鹿田焼の盃と作家モノのフリーカップを買って「いつもの店」に向かいました。
でもねぇ・・ちょっと商品が少なくない?・・なので店主に尋ねると「京都アンティーク(今月末)に出店するので、今日商品を出すとまた梱包しなくちゃならないから邪魔くさい」ですって!・・有り得ん!
そんな訳でしたが、それでもここでは、硝子のペーパーウェイトと赤絵の鉢を購入して予定終了となりました。
四天王寺からの帰り際、気付けば人出もピーク?な様子でしたが、やはり円安の影響ですかねぇ・・中国人を中心に海外からの旅行者も多数みられました。
土曜日で晴天!・・されど風強し!ちょっと肌寒かったかな?で10時の電車で帰りましたとさ。でも、ハルカスに寄ってハロウィンのお菓子を買おうと思っていたのに忘れてしまいました。😅
ようやく暑い季節から過ごしやすくなったというのに・・歳ですかねぇ・・寒暖の差というヤツに対処出来ないのでありました。何と言うか、急に「寒がり」になったみたいで感冒症状の一歩手前みたいな体調が続いております。・・なんて愚痴ばかり。
・・で、今回は人形シリーズ?最終回の相良人形のご紹介なのですが、画像はあるものの文章がサッパリ浮かんでこないので後回しになりました。
相良人形は東北三大土人形の一つとされているらしく、米沢藩主の上杉鷹山公の命を受け、陶技を学んだ相良清左ヱ門が創始。伏見人形や堤人形、京人形の仕様を取り入れて独自に発展しましたが、昭和18年に一旦廃絶。その後、昭和40年代に相良たかし氏が再興し七代目を継承しました。今回の土人形は、その七代目の製作になります。
表面の丁寧さと比べれば裏面は随分とアッサリしています。これは今回の五体ともに共通でした。画像は唯一題名が判っている「軍配持ち唐子」の裏面です。
底面に七代目さがらたかしの署名あり。現在は隆馬氏が八代目を継いでいるそうです。
土人形には詳しくないのですが、軽い土に胡粉で下地を作り彩色を付すという伝統的な製法で作られていますので、他産地の土人形と区別が付かない感じがします。・・伏見人形とかの技術から学んでいるので似通っていて当然なのかな?・・でも、先の芝原人形とは土の重さが違うので判別が出来ますがね。
こちらも裏面はアッサリ。今回の相良人形も古着屋さんでの購入ですが、多少のダメージ(剥落とか・・)は有りますが中古品としては我慢できるモノでした。(プライスと勘案して)
それにしても伝統的な土人形って、過去に持っていたモノを思い返しても、本当に脆い・・というか、普通に扱っても釉薬の剥落は仕方ない感じですね。今回の相楽人形も、いつまで状態をキープ出きます事か?
相楽人形・・・未計測。
先日の大阪護国神社日の丸マーケットで購入した「甕」になります。先のブログでは「丹波の甕」としたのですが、ちょっと確実性が無い感じですので、今回のタイトルは『日の丸マーケットで買った「甕」』となりました。
護国神社に到着した頃には、既に1軒目の「初だし屋」さんが商品の入った箱をトラックから半分ほど降ろしていて、その筋の方々が物色に励んでおられましたが、私とはどうも買いの目先が違う感じで欲しいモノが目に止まりませんでした。
そこで境内を本殿に向かって進みましたら、先月は出店していなかったと思われる須磨の業者さんの店で見つけたのが今回の甕なのです。埃まみれだったものの、柄杓で釉薬を掛けた様子が伺え、時代は無いけれど(昭和40年頃か?)真面目に作られた印象から持ち帰る事にしたのでした。
帰宅後に軽く汚れを落としましたら、意外にも肌はツルツルで引っ掛かりなし。ただ実用の器だからか首にあたる部分だけには釉薬が掛かっていませんでした。ちょっと窯変して火間のように見えるのは御愛嬌。
器の地肌が茶色なのに装飾に掛けられた釉薬も茶色?・・どうも地味過ぎて不可思議ですが、本来はもう少し緑がかった釉薬の上がりを狙った感じがします。
甕だからか、口縁にも内部にも釉薬が掛かっています。内側のほうが窯変が激しい感じ。
底面は白っぽく見えますが、こちらはまだ洗えていないのでした。首部の無釉な様子がよく分かります。
画像にすると何だか大きく感じられますが、高さは20cm弱しかありません。ちょうどペットボトルと同じぐらいの高さでした。
今回は邪魔臭かったので通路みたいな所で撮影しましたが、あまり違和感ない感じがしますね。
★★★
丹波だと思う甕・・・口径165×高205×底径97mm.
今朝は散歩途中に中秋の名月の名残が見れたのですが・・こんな時に限ってスマホを家に置いてきてしまったという大失態!・・シチュエーションが凄く良かっただけに残念でした。
さて、昨日は先月に続いて住之江公園にある大阪護国神社日の丸マーケットに行ってきました。始発のバスに乗って出掛けましたが目的地までは40分と少し。・・何だか先月のほうが速かったような気がするなぁ・・って、そんなわけないでしょうね。(気分の問題かな?)
歩道橋の上から骨董市の様子を伺えば・・まだ7時前だというのに人だかりがしている感じ。(多少過ごしやすくなったので活動が早いのか?)
・・そんな感じで大阪護国神社の境内に到着すれば、なるほど「初だし屋さん」が商品展開の最中なのでした。・・なのでプロ的な人たちが集合していたのですが、私的には目につく商品は有りませんでした。
今回は少しですが業者さんの展開が早いのかなぁ。・・本殿前には先月は見掛けなかったであろう(恐らく)店があり、手前に百均の商品がわんさか。少し気になるモノも有りましたが、ここでは丹波の甕(古くはない)を購入しました。店主と話すと須磨から来ているとの事でした。
前回は初めての事とて、あまり境内を散策なんてする余裕がなかったのですが、今回はさほど広くない境内を観察することにしました。
特攻勇士の像・・飛行士像の背景には戦闘機の翼を配しているようでした。翼の「日の丸」が飛行士の頭部にかかっていて、それはキリスト教の聖職者とイメージが被る印象を持ちました。
(画像には写っていませんが)・・台座には『あゝ特攻』・・「私たちは決してあなたたちをわすれない」とありました。
絵馬には日露戦争時の旗艦「戦艦三笠」が画かれていました。ちらっと見える「九七式中型戦車」の絵馬はコチラのモノではなく石川護国神社のモノ。・・なんでココにある?・・・何て感じで過ごしているうちに丁度良い時間となりました。
ざっと数えて出店数は28なので先月よりも少ないのですが、感覚としては逆な印象を持ちました。業者さんの展開が早くて商品を多く見られたからかな?
背景の社が浪速宮・・仁徳天皇と東郷平八郎元帥を御祭神とする。・・なので絵馬が「三笠」なのですね。
★★★
今回も骨董的なモノには出会えなかったし、何故かまた「切手関連」のモノを買ったりして意味不明な私。でも、結果「低予算」で済んでしまう日の丸マーケット・・不思議です。